名著中の名著、方法序説を読みました。
私は高校生の時にも読んだことがあるのですが、そのときは時間も少なく流し読みだったので、落ち着いて読み直しました。
方法序説とは、ルネ・デカルトによって書かれた文庫のページにして100pほどの短く、しかし濃密な著作です。
この本は実は、彼の500p程度の科学論文の序説のみを切り取って刊行したものですが、ただの序説とは到底思えません。
内容としては、彼が真理にたどり着くために、どのように厳密な手法をたどってきたかを示したものとなっています。
真理というと混乱しますが、これにはデカルトの生きた時代背景が関わっています。
デカルトが生きた時代は1600年頃であり、コペルニクスが天動説を唱えたすぐ後の時代でした。当時は聖書の教えに基づいて、聖書に異を唱えた天動説は受け入れられておらず、天動説支持者は宗教裁判にかけられる有様でした。
つまり、近代的な科学というものは芽吹いたばかりで、アリストテレス的価値観が絶対的なものでした。
そのような中で、正しい証明を重ねて真実に近づこう、という近代的価値観を産み出したの始祖とも呼べるのが、デカルトです。
彼はこの著作の中で、神の存在を限りなく尊重して宗教裁判にかけられることを慎重に避けつつ、彼独自の考えで、理性をよく働かせ、真理に近づくために編み出した方法を記しています。
実際の中身
一番重要とされる4つの原則を書いておきます。
1,自分で明証的に真と認めるもの以外は、どんな事も真と認めない。明証をする際の道具にも使わない。
2,証明が難しい事柄については、より解きやすくするために部分部分に分解する。
3,単純で認識しやすいものから順番に手を付けていく。
4,自分のたどった証明をくまなく見直すこと。
これを徹底した結果に、はじめにたどり着いたのが「我思う故に我あり」です。
どのようなものも存在することを示すことができないものの、全てのものを疑っている自身の存在というものは、必然的に認められる(自身の存在が無ければそのような疑い、というものが存在し得なくなり、矛盾するため?)という話になっています。
なにもそんなところまで,,,と思いますが、何が正しく、何が正しくないか、自分の感性や習慣が全く頼りにならない状況で、厳密に示していこうとして得られた真理の1つです。
もっともっと知性を働かせ、基本的であり疑わしくないと感じられるものも
感性を信用せず、明証を積み重ねて世界を認識していくという事をデカルトは強く決意した、ということが繰り返し書かれてあります。
他にも沢山面白い部分があります。
個人的な感想ですが、この本は前半の3章がかなり濃密で、後半はやや失速しているように感じられます。ですので、前半を注意深く読むことが重要ではないかと思います。
後半部のデカルト先生によると、心臓では血が急激に温められて膨張し、それによって心臓がポンプとして働くそうです。面白ポイントですね。
以下感想
デカルトが生きたのは、名証不可能な論理に基づく宗教などの価値観が重視され、
またそれにそぐわない主張をすると罰せられる時代であった。
その中にあっても、真理を見つけ出していく方法、というのが方法序説に書き留めてある。
一方、私達の生きる現代は、デカルトによって展開された真理を見つけ出す思想を発端として、既に多くの優れた科学者(人文系含む)が、多くの事を証明してきた。
その状況を踏まえると、世に広く知られていること、沢山の研究者によって書かれ、
磨かれてきた教科書や参考書というものの蓋然性はどの分野においても極めて高いものであり、
それをかなり当面は真理として認識していくことは、世の中を知る上で、
とてつもなく有用であると言えそうだ。デカルトがもし現代に転生したら、
歓喜して証明過程を追いながら学ぶのではないか。
私の実践としては、全部を丸々明証的に理解するのではないけど、証明過程を追いつつ勉強したい。
そして、中世にありながら、永遠に真理である事を記せたことを、
デカルトは何よりの幸せだと感じてそう。
古典的名著はいいですね。400年以上経過してなお、感動的な対話を実現させてくれます。幸せですね。