学歴ロンダリングは結局は悲しいものだ、という話

この記事における学歴ロンダリングの定義は、

大学のレベルよりハイレベルな大学院へと進学すること。それによって、出身大学では得られない恩恵を、出身大学院のネームバリューで得ようとすること。

ここで言うレベル、とは、一般的な社会人の間で合意形成されてるものを指します。例えば、東大は他の大学よりもハイレベルなのは一般的でしょう。地方の大学より、旧帝大早慶のほうがハイレベルなのも一般的でしょう。

学歴ロンダリングを行うことは、咎められることではありません。むしろ、自身の将来展望を広げるために必要なことでしょう。

 

しかし、問題は出身大学を隠す人がいることです。これは卑怯です。

例 「私はA大学卒業です(本当はAは大学院で、出身はそこよりも劣るB大学)」

この例では、出身大学よりネームバリューのある〇〇大学を前面に出すことで、自身の他社からの評価を高めようとしています。

直すなら、「私は院がAでした」

ただこう言えば良いだけです。

 

大学入試よりも簡単な試験により、上位大学出身の顔をしている。

しかし、このことに一番気づいているのは本人でしょうね。引け目を感じない人はいないと思います。

それを一生気にする訳ですから、悲しいものでしょう。

大学受験の時、もっと頑張っておけばなあ、という感想を捨てられないと思います。